2016/07/26
同居人の独身アラサー次女○○、最近、家庭内權證到期の趣味に没頭している。
家事がマイブームである。
クッキーを一週間分作って、冷蔵保存し、おやつに職場に持っていく。
ミニ保温水筒に、自宅で淹れたドリップコーヒーと共に。
もちろん、こっそり、自分の分のみ。
職場で、休み時間にひとりで楽しんでいるのだろう。
パン焼き機も、長女宅から借り受け、試作スタンバイ中。
自分の部屋も、断捨離は定期的に行い、要らない余分なモノをわたしにくれる。(押し付ける)。
まだ、くれるだけマシ。
衣類など、全く「これ、要る?」と聞きもしないで、どさっと、とっとと捨てる。
わたしの目から見ると、宝の山。
わたしが買おうと、売り場を物色している類のものもある。
いちいち、わたしがうるさいから、最近は、ゴミの日には、ゴミペールに先にゴミを入れて自宅前にすでに出してある。
今日も、壊れかけのプラスティックの3段衣類ケースをゴミに出したいけれど、どう処理すればいい?と持ちかけてきた。
このゴミは、こっそり捨てるわけにはいかないから、相談してきたのだ。
夫にも相談してみた。
「最近、彼女は部屋も気合を入れて、断捨離したり、掃除したり、収納方法にこだわったりしてるみたいね」
と、わたしが言い、
「いよいよ、かなあ」と付け加えた。
「いよいよ、家に腰を落ち着けて住む覚悟で、自宅の自分の部屋を快適にしようとしてるんやね」
と、わたしが言おうとした矢先、
次に出た夫の言葉は、予想もしていなかった。
「いよいよ、家を出て行くから整理してるんかな」
と。
え?
わたしと正反対のコメントが、とても意外で、斬新で、ユニークで、面白かった。
わたしと同じ家にいて、同じ二人の子供で、同じように育てている過程を共有しているのに、
同じ家にいる娘の行動や心理牛熊證買賣についての感じ取り方が、こうも違うものかと思った。
観察のポイントは同じだが、感想が真逆。
空気がスパッと爽やかに斬れた気がした。
「いよいよ、、、」の後の解答が、気になるところだか、娘は、ノーコメントだった。
日に日に、余計なモノがなくなり、美しくなっていく娘の部屋を見て、う~~ん、、、と、感慨深いものがある。
家事がマイブームである。
クッキーを一週間分作って、冷蔵保存し、おやつに職場に持っていく。
ミニ保温水筒に、自宅で淹れたドリップコーヒーと共に。
もちろん、こっそり、自分の分のみ。
職場で、休み時間にひとりで楽しんでいるのだろう。
パン焼き機も、長女宅から借り受け、試作スタンバイ中。
自分の部屋も、断捨離は定期的に行い、要らない余分なモノをわたしにくれる。(押し付ける)。
まだ、くれるだけマシ。
衣類など、全く「これ、要る?」と聞きもしないで、どさっと、とっとと捨てる。
わたしの目から見ると、宝の山。
わたしが買おうと、売り場を物色している類のものもある。
いちいち、わたしがうるさいから、最近は、ゴミの日には、ゴミペールに先にゴミを入れて自宅前にすでに出してある。
今日も、壊れかけのプラスティックの3段衣類ケースをゴミに出したいけれど、どう処理すればいい?と持ちかけてきた。
このゴミは、こっそり捨てるわけにはいかないから、相談してきたのだ。
夫にも相談してみた。
「最近、彼女は部屋も気合を入れて、断捨離したり、掃除したり、収納方法にこだわったりしてるみたいね」
と、わたしが言い、
「いよいよ、かなあ」と付け加えた。
「いよいよ、家に腰を落ち着けて住む覚悟で、自宅の自分の部屋を快適にしようとしてるんやね」
と、わたしが言おうとした矢先、
次に出た夫の言葉は、予想もしていなかった。
「いよいよ、家を出て行くから整理してるんかな」
と。
え?
わたしと正反対のコメントが、とても意外で、斬新で、ユニークで、面白かった。
わたしと同じ家にいて、同じ二人の子供で、同じように育てている過程を共有しているのに、
同じ家にいる娘の行動や心理牛熊證買賣についての感じ取り方が、こうも違うものかと思った。
観察のポイントは同じだが、感想が真逆。
空気がスパッと爽やかに斬れた気がした。
「いよいよ、、、」の後の解答が、気になるところだか、娘は、ノーコメントだった。
日に日に、余計なモノがなくなり、美しくなっていく娘の部屋を見て、う~~ん、、、と、感慨深いものがある。
2016/07/25
長い長い長い、年末年始が終わった。
2016年、やっと平常モードに戻りつつある。
年末から年始にかけて、民族大移動。
それぞれの核家族が、実家に帰省する。
長女一家は、お婿さんの実家へ。
ちょうど、関西と関東の境目ぐらいの位置か。
年末の一週間。
あちらのお父さん、お母さん、ご苦労様。
一番、手のかかる乳幼児連れが、一週間も滞在。
日頃、老夫婦、二人だけの静かな生活に、若手が、どかどか乱入。
しかし今回は、まだお婿さんのお兄さん一家も同時滞在、芋の子を洗う戦場でなくて、よかった。
一緒だと、お風呂の順番なんて、なかなか回ってこないと、長女が言っていたような気がする。
我々は、夫の実家へ。
日頃、老人一人住まいのところに、大人が3人加わる。
義母とのやりとり、どっと疲れる、嫁母乳餵哺のわたし。
風習だの、慣わしだの、伝統だの、簡素化しようとするわたしと、
体が動かなく、記憶もだんだんぬるくなってきているのに、想いとアタマと口の達者な義母と、ことごとく衝突。
お正月明けて、長女一家、乳幼児連れが、どかどか4人乱入。
むこうの、お婿さんのご両親、おそらく万歳三唱。やれやれ、と。
こちらは、迎春準備はバタバタだったものの、明けて、大人だけの静かなお正月に、活発どたばた世代が増加。
ダイニングキッチンは、ぎゅうぎゅう詰め。
さらに、そのメンバーで、今度は、わたしの実家にGO。
実家では、姉一家(姉夫婦、シングル甥っ子や、ちび連れ姪っ子たちファミリー)と合流。
若いお婿さんは、これで、3人に。
母や兄たちは上座に鎮座。
各世帯、お年賀品・交換会、物流、交流、わーわー。
老若男女向き・和洋折衷・昼食、お茶&和菓子、コーヒー、と、進んで、あっという間にお開き。
ばたばた。
各家々に三々五々の後、我が家には、うちの長水解蛋白男が帰省。
我が家が、「モノが多すぎる」と、長男による断捨離の粛清が始められる。
ぽいぽい、ゴミ袋に入れる息子。
「それは、捨てたらあかん」
「どう見ても使ってないで」
「これは、大事に取っておいているものなんやから」
「賞味期限、過ぎてる」
「塩昆布は、べつにいいのよ」
「こんなもん、まったく要らんものや」
「いや。要る。わざわざ買って、集めているんやから」
あちこちで、すごいスピードで、ゴミ箱行きに仕分けされる。
息子が帰ったあと、捨てられたものの中から、執着心のあるものをわたしは、レスキューする。
が、息子が言う通り、なくてもよいものばかりではある。
が、見切りをつける期間が、わたしと息子では、時間の長さが違うのだ。
次女は、
「お兄ちゃん、一年に一回しか帰ってこない、実家の大掃除して、どうする気や?」
と、冷ややか。
義母宅の冷蔵庫を賞味期限切れチェックをして、はるかに賞味期限が切れているのを見て呆れておきながら、
自分の家では、息子に呆れられている。
自分の実家に訪れる身でありながら、子供に実家を訪れられる身、同時進行している。
核家族が、いっぱい。
交通整理しないと、統制がとれない。
求心力、まとめ役、牽引役が必要である。
子供は、あと30年すると、自分の子供(わたしの孫)に実家を訪れられ、実家を訪れられる気持ちがわかるだろう。
そして、子供と孫が、「おばあちゃんち」として、うちを訪れることになる。
我々は、30年先、実家を訪れるとすると、そこには誰が住んでいるのか?
我々? ひ孫? それとも、Nobady?
メビウス状態になってきた。
2016年、やっと平常モードに戻りつつある。
年末から年始にかけて、民族大移動。
それぞれの核家族が、実家に帰省する。
長女一家は、お婿さんの実家へ。
ちょうど、関西と関東の境目ぐらいの位置か。
年末の一週間。
あちらのお父さん、お母さん、ご苦労様。
一番、手のかかる乳幼児連れが、一週間も滞在。
日頃、老夫婦、二人だけの静かな生活に、若手が、どかどか乱入。
しかし今回は、まだお婿さんのお兄さん一家も同時滞在、芋の子を洗う戦場でなくて、よかった。
一緒だと、お風呂の順番なんて、なかなか回ってこないと、長女が言っていたような気がする。
我々は、夫の実家へ。
日頃、老人一人住まいのところに、大人が3人加わる。
義母とのやりとり、どっと疲れる、嫁母乳餵哺のわたし。
風習だの、慣わしだの、伝統だの、簡素化しようとするわたしと、
体が動かなく、記憶もだんだんぬるくなってきているのに、想いとアタマと口の達者な義母と、ことごとく衝突。
お正月明けて、長女一家、乳幼児連れが、どかどか4人乱入。
むこうの、お婿さんのご両親、おそらく万歳三唱。やれやれ、と。
こちらは、迎春準備はバタバタだったものの、明けて、大人だけの静かなお正月に、活発どたばた世代が増加。
ダイニングキッチンは、ぎゅうぎゅう詰め。
さらに、そのメンバーで、今度は、わたしの実家にGO。
実家では、姉一家(姉夫婦、シングル甥っ子や、ちび連れ姪っ子たちファミリー)と合流。
若いお婿さんは、これで、3人に。
母や兄たちは上座に鎮座。
各世帯、お年賀品・交換会、物流、交流、わーわー。
老若男女向き・和洋折衷・昼食、お茶&和菓子、コーヒー、と、進んで、あっという間にお開き。
ばたばた。
各家々に三々五々の後、我が家には、うちの長水解蛋白男が帰省。
我が家が、「モノが多すぎる」と、長男による断捨離の粛清が始められる。
ぽいぽい、ゴミ袋に入れる息子。
「それは、捨てたらあかん」
「どう見ても使ってないで」
「これは、大事に取っておいているものなんやから」
「賞味期限、過ぎてる」
「塩昆布は、べつにいいのよ」
「こんなもん、まったく要らんものや」
「いや。要る。わざわざ買って、集めているんやから」
あちこちで、すごいスピードで、ゴミ箱行きに仕分けされる。
息子が帰ったあと、捨てられたものの中から、執着心のあるものをわたしは、レスキューする。
が、息子が言う通り、なくてもよいものばかりではある。
が、見切りをつける期間が、わたしと息子では、時間の長さが違うのだ。
次女は、
「お兄ちゃん、一年に一回しか帰ってこない、実家の大掃除して、どうする気や?」
と、冷ややか。
義母宅の冷蔵庫を賞味期限切れチェックをして、はるかに賞味期限が切れているのを見て呆れておきながら、
自分の家では、息子に呆れられている。
自分の実家に訪れる身でありながら、子供に実家を訪れられる身、同時進行している。
核家族が、いっぱい。
交通整理しないと、統制がとれない。
求心力、まとめ役、牽引役が必要である。
子供は、あと30年すると、自分の子供(わたしの孫)に実家を訪れられ、実家を訪れられる気持ちがわかるだろう。
そして、子供と孫が、「おばあちゃんち」として、うちを訪れることになる。
我々は、30年先、実家を訪れるとすると、そこには誰が住んでいるのか?
我々? ひ孫? それとも、Nobady?
メビウス状態になってきた。
2016/07/20
認知症の定義は難しい。
アカの他人の見知らぬ誰かのブログに、「鳥越俊太郎は、認知症(の疑いあり)である」と書かれていた。
認知症のお母さんを世話しておられる人のブログだった。
この記事を読んで首を傾げた。
このブロガーさんは、認知症の現場で苦労されているはず。
認知症の症状に日々接していると、認知症を理解し、寄り添おうとするあまり、感覚も認知症寄りになるのだろうか。
しかしながら、わたしの尊敬する、昔から大好きな鳥越さんのことではあるが、わたしのコメントは、あえてここには書かない。
さて、認知症の定義であるが、かなりボーダーラインがあり、限りなくグレーゾーンがある。
緻密で難解で困難なことは出来ても、2分前DR REBORN老闆のことは忘れたり、
歴史の史実をひとつの狂いなく正確に覚えていても、現在、今、今日のこの時間、自分の置かれている状況が理解できなかったり。
高度な計算や化学式は、すいすい鼻歌でも、ボタンのかけ方がわからなかったり。
人によって、いろいろムラがある。
認知症のせいなのか、老化で人格に歪みが出たのか、よくわからない場合が多い。
スーパーのレジでキレる老人なども、その例かと思われる。
重い認知症ならわかりやすいが、問題は、軽度のもの。
理性を失いつつある身内に、愛をもって寄り添いすぎると、自分が壊れる危険性がある。
かつての人格のままなら、自分と深く関わりのある、愛抗皺精華する身内が自分自身を潰してまで寄り添ってほしいとは思ってないはずである。
認知症は、いくら軽くても、どこかが壊れている状況だということを知ってないと、本当に認知症の人を理解できない。
自分は認知症ではない、と、胸を張って自信満々の人がいるが、計算や講義はできても、自分のことをわかっていない。
脳に自信がある人ほど陥りやすい。
そういう人は、自分の老化を認めることができない。
体力や健康に自信がある人もである。
ため息が出るが、その人の人生は、その人のもの。
わたしの人生ではない。
アカの他人の見知らぬ誰かのブログに、「鳥越俊太郎は、認知症(の疑いあり)である」と書かれていた。
認知症のお母さんを世話しておられる人のブログだった。
この記事を読んで首を傾げた。
このブロガーさんは、認知症の現場で苦労されているはず。
認知症の症状に日々接していると、認知症を理解し、寄り添おうとするあまり、感覚も認知症寄りになるのだろうか。
しかしながら、わたしの尊敬する、昔から大好きな鳥越さんのことではあるが、わたしのコメントは、あえてここには書かない。
さて、認知症の定義であるが、かなりボーダーラインがあり、限りなくグレーゾーンがある。
緻密で難解で困難なことは出来ても、2分前DR REBORN老闆のことは忘れたり、
歴史の史実をひとつの狂いなく正確に覚えていても、現在、今、今日のこの時間、自分の置かれている状況が理解できなかったり。
高度な計算や化学式は、すいすい鼻歌でも、ボタンのかけ方がわからなかったり。
人によって、いろいろムラがある。
認知症のせいなのか、老化で人格に歪みが出たのか、よくわからない場合が多い。
スーパーのレジでキレる老人なども、その例かと思われる。
重い認知症ならわかりやすいが、問題は、軽度のもの。
理性を失いつつある身内に、愛をもって寄り添いすぎると、自分が壊れる危険性がある。
かつての人格のままなら、自分と深く関わりのある、愛抗皺精華する身内が自分自身を潰してまで寄り添ってほしいとは思ってないはずである。
認知症は、いくら軽くても、どこかが壊れている状況だということを知ってないと、本当に認知症の人を理解できない。
自分は認知症ではない、と、胸を張って自信満々の人がいるが、計算や講義はできても、自分のことをわかっていない。
脳に自信がある人ほど陥りやすい。
そういう人は、自分の老化を認めることができない。
体力や健康に自信がある人もである。
ため息が出るが、その人の人生は、その人のもの。
わたしの人生ではない。
2016/07/19
こちら(私のHP)の最初の日付けでも、
同じタイトルで、違う内容の記事を書いています。
あの頃、「熱の理由は、これだ」と思ったのは、
鹿島選手に着目したことでした。
この人を知るために、私はここに吸い寄せられたのだ、
と確信していました。
でも、Number717号の冨田選手のインタビューを読むと、まちがいなく、
冨田選手の全身全霊を懸けたパフォーマンスに導かれて、
私はここにやって来たのだと思います。
やって来た結果、鹿島選手を知ったというのが正解ですね。
つまり、今もなお冷めぬ、この熱の理由。
それは、
――私は、求道者たちに惹かれたのだ――
ということでしょう。
体操界そのものが、求道者の世界なのでしょうか?
それはまだ、私には分かっておりません。
同じタイトルで、違う内容の記事を書いています。
あの頃、「熱の理由は、これだ」と思ったのは、
鹿島選手に着目したことでした。
この人を知るために、私はここに吸い寄せられたのだ、
と確信していました。
でも、Number717号の冨田選手のインタビューを読むと、まちがいなく、
冨田選手の全身全霊を懸けたパフォーマンスに導かれて、
私はここにやって来たのだと思います。
やって来た結果、鹿島選手を知ったというのが正解ですね。
つまり、今もなお冷めぬ、この熱の理由。
それは、
――私は、求道者たちに惹かれたのだ――
ということでしょう。
体操界そのものが、求道者の世界なのでしょうか?
それはまだ、私には分かっておりません。