朝ドラ『花子とアン』は、たまにしか見なかった。

しかし、村岡花子という人の一生には関心を抱いたので、
ドラマの原案となっている、『アンのゆりかご――村岡花子の生涯』を読んだ。
非常に感動し、引用されていたエッセイにも惹かれ、エッセイ集猴枣散
と童話集も読んでみた。
(『腹心の友たちへ』『曲がり角のその先に』『想像の翼にのって』『たんぽぽの目』)

村岡花子イコール『赤毛のアン』シリーズの翻訳者、
という私のそれまでの認識は、間違いであったことに気付く。



 アンだけでは、なかった。

 ヘレン・ケラーやナイチンゲールなどの伝記も、
 『フランダースの犬』や『小公女』や『若草物語』や
 『幸福の王子』『アンクル・トムの小屋』etc.

 私が小学生の頃、読んで感銘を受けた本のほとんどが、
 この人の翻訳であったとは、迂闊にも知らなかった。

 この人が、
 幼い私の前の道を照らし続けてくれた、
 光だったのだな――



感謝と敬慕の気持ちが、数多のエッセイを読むごとに、募っていった。
明治から昭和半ばまで、関東大震災や東京大空襲を乗り越え、
激動の時代を生きた気骨鋁窗

知性と言語感覚、優しさと潔さ、温かい母性。
 
この人の真心に、幼い私の心は育てられたし、
日本中の多くの人々の中にも、きっと花子さんの真心は息づいていることだろう。

『花子とアン』の総集編を観た。
朝ドラとして、最高の名作ではないかと思う。

だが、史実の村岡花子の生涯は、
ドラマよりも、もっと劇的で、
汲めども尽きぬ豊かさに、満ちていたのだsense



今年は、30数冊読んだ。(詳細は読書メーター)
その中でのベスト10。

1位 「茨木のり子詩集」 谷川俊太郎:選
   「遠い朝の本たち」 須賀敦子
   「海からの贈物」 アン・モロウ・リンドバーグ

4位 「昭和16年夏の敗戦」 猪瀬直樹

5位 「蓮花の契り」 高田郁
   「あい」    同
   「晴れときどき涙雨」 同

8位 「若き数学者のアメリカ」 藤原正彦

9位 「現代人の祈り」 釈徹宗・名越康文・内田樹

10位 「家日和」 奥田英朗
   「我が家の問題」 同
   「空中ブランコ」 同



1位は、甲乙つけがたく3冊。

茨木のり子の詩は、作品自体が鮮烈で、後世に残るものだと思うが、
この本で、彼女の生涯が分かり、一層胸を打たれた。
詩人の矜持と、人間的な美意識が、尊いと思うVeda Salon

「遠い朝の本たち」は、不思議な魅力のある本。
独特の文体が、だんだん麻薬のように効いてきて、いつまでも永遠に読み続けたくなるほど心地良い。
この本で紹介されたのが、リンドバーグ夫人の「海からの贈物」。
昭和20年代アメリカの、知性と聡明さに富む女性のエッセイだが、
人類が真に語るべきエッセンスを、さらりと述べていて驚愕。


「昭和16年夏の敗戦」は、昭和天皇や東条英機の人間味が伝わってくるドキュメンタリー。
アメリカやソ連の恐ろしさに慄然。
太平洋戦争がなぜ起きたか、長年の疑問が氷解したismoka istick


高田郁の真摯な優しさには、心が浄化される。

藤原正彦の明解な筆致とユーモアも、大好きである。

奥田英朗は、今まで読まず嫌いだったが、読んだら視野の広さや文体が面白かった。
その数冊を読んだ中では、上記3冊が好き迪士尼美語 價格

カラオケが、嫌いである。
いや、正確に言うなら、一時期は好きだった。

物事というのは、最初好きだったものがだんだんイヤになるか、反対に最初はイヤだったものが
だんだん好きになるかのどちらかが普通Pretty renew 傳銷だと思うが、私のカラオケの場合そのどちらでもなく、
大学を卒業して、新人サラリーマンをやっていた20代半ばの頃が一番カラオケ好きだった。
その前と後ろ、つまり学生時代あたりと、現在はキライ、
というなんか「けったい」な枠組みになっている。

なんでカラオケが、嫌いか。
歌唱力の問題ではない。
(そもそも、カラオケで歌うときの多少の上手い下手など目くそ何とかだと思う)

理由は1つ。
「昔の歌、暗い歌が歌えないから」だ。

先日Facebookにも書いたのだけど、仕事をしながら古い歌謡曲をかけているとよくはかどる。
そして、古い曲というのは、結構暗い歌詞が多い。
なんでそれで効率が上がるのかわからないが、思うに、人間のエネルギーは「暗さ」の中から
生まれる部分が往々にしてあるせいではなPretty renew 傳銷いだろうか、と勝手に考えている。暗さというのは、
人間にとって大切な要素の1つだと思う。

話がそれた。
カラオケに話を戻す。

たいていの場で、カラオケというのはなぜか「明るく盛り上がる場」と
相場が決まっている。そして、そういうときには、「全員が知っている盛り上がる歌」を
歌うとか、明るくてノリのいいメロディの曲を【歌わねばならない】という暗黙の了解のような
ものが存在する。これが、ものすごくイヤなのだ。

大学に入って初めてカラオケに行ったときに、ある曲を歌って、
「暗い歌は嫌がられる」という、冷水をぶっかけられるような経験をした。
(この話はまたそのうち書こうと思う)

最近も友人たちがカラオケ会のようなことを開くことが多いが、たいていは
上記のような暗黙のコンセンサスが存在する ため、私が愛してやまない昭和40年代の
暗い歌謡曲などとても歌うことができない。
学生時代は、友達がほしいし、グループから孤立したくないというナイーブな部分があったから
無理をして、好きでもないミスチルやチャゲアスなどのCDを借りて、一生懸命「カラオケ用」に
練習したりしたが、図々しいおっさんになった今は、そんなナイーブさもない。
必然的に、どんどんカラオケからは遠ざかっていく。

もちろん、歌うことは好きなので、このポイント、つまり
「暗い歌や古い歌を歌い放題にできる」
場合は、例外である。最近一番楽しかったのは62歳の義父と一緒にカラオケに行った時だ。
義父の世代とあわせて、その時代の好きな曲を入れ放題で実に楽しかった(笑)
先ほど、「途中で好きな時期もあった」というのも同じ事情だ。新米サラリーマンの頃、
年配の上司なども一緒にいくことが多い会社だったので、そういった上司は職権により自由な
選曲ができるところ、それに乗じて入れ放題だったというわけ。

最近の若い人はあまりカラオケには行かないというけど、ひょっとしたら私と同じような
理由なんじゃないかと考えることがある。好きでもない音楽を歌いたくもないよ、というような。
どうでしょう?

好きなものを歌ってもいい。
どんなに古くても、暗くてもいい。
そんな心の広い人たちが、いずれカラオケに誘ってくれることを夢想しつつ(笑)、
まだ当分はカラオケ嫌いを続けておこうと思う。
娯楽とは、結局のところ自分の魂が喜ぶべきことであるはずなのだから。

白い塀に泥手形、足跡の話は書いたが、その上に乗康泰旅行社っている瓦にも泥足、手型がいっぱいついていた。庭にはタマネギの葉がたくさん落ちている。
 どうも、塀の上にタマネギを持って上がって、その上で猿どもは宴会をした模様だ。そして、ウンチまで落としていきおった。
 愛犬凛太郎は困ったことに猿のウンチが好きなようだ。以前、猿のウンチを食らったことがあった。その時は気付くのが遅く、ウンチはすでに凛太郎のお腹の中に納まったあとだったが、その口の臭いこと。腐敗のニオイだ。当然といえば、当然なのだが。
 凛太郎は、よくニンゲンの口を舐めにくる。その口で舐美麗華投訴められるのだけは避けたい。なんとしても避けたい。それよりも猿のウンチを食わせないのが先だが。
 今回も、私より先に、猿のウンチを見つけ、ああ 口に咥えた。しかし、それはそこそこ硬かったのか、凛太郎が優しくしか咥えなかったせいか、牙に食い込む様子も無い。尾を嬉しそうに激しく振り、咥えた状態のままで私を見ている。私はすかさず、それを口から奪いたかったが、モノはウンチ。「食べたらアカン」と激しく叱責したら、ポロっと落とした。そう言えば、前回は凛太郎の口を水道の蛇口の下で無理やり洗ったのだった。覚えていたのだろうか?
 ウンチの上に石を置いておき、凛太郎にはおいでとついてくることを命令し、スコップを取りに行き、処分。
 猿が食い散らかしたタマネギの葉も、ワンが食うと中毒作用面部護理を起こすとかなわないので処分。いらん用事ばかり増やす猿は、ほんまにうるとら腹立たしいが、山に食うものがないというのもつらいやろなぁと、つい思う。嗚呼。

人はそれぞれ、なにかしら特技を持っている。 さくらんぼの枝を口の中で結べたり、けん玉が上手だったり、耳をピクピク動かせたり。 役に立つものもあれば人生に2度くらいしか役に立たないものもある。 自分では特技だと気付かないこともあったりする。
そんなわけで僕にも特技がある。特技と言ってもよいのではないだろうか。 それは、「ラーメン屋の主人と仲がよくなりやすい」という、きわめて限定的であまり役に立たない特技だ。 なにがそうさせるのだろうか? ラーメン屋の主人は、自分と同じ雰囲気を僕に感じるのだろうか。

それで、今日も病院の帰りにラーメン屋に寄王賜豪醫生った。 客と主人と言う一線を超えない微妙な距離を保った会話の中で、吸っている煙草の話になった。 その会話の中で、僕は生まれて初めて自分の父親のことを「オヤジ」と呼んだ。 「煙草や酒はオヤジが吸っていた銘柄に落ち着くんですよね」という風に。 脱サラをして美味しいラーメンを作り、顔が割れるのが嫌なのでTVの取材やインタビューは受けないという、いささか頑固なラーメン屋の主人に対して、自分の父親を「おとうさん」と呼ぶには何か抵抗があったのだ。 自分のことを「ぼく」から「オレ」と呼ぶことが多くなったように、僕はお父さんのことを「オヤジ」と呼ぶようになったのだなぁ。と、麺をすすりながら思った。 ガラス屋としてある程度の金を奧數 香港自分で稼ぐようになって、目つき顔つきまで変わってしまった僕は、代わりに何かを失くしているような気がして、やっぱりどこか寂しい気がしたりする。

< 2016年04>
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