認知症の定義は難しい。
アカの他人の見知らぬ誰かのブログに、「鳥越俊太郎は、認知症(の疑いあり)である」と書かれていた。
認知症のお母さんを世話しておられる人のブログだった。
この記事を読んで首を傾げた。
このブロガーさんは、認知症の現場で苦労されているはず。
認知症の症状に日々接していると、認知症を理解し、寄り添おうとするあまり、感覚も認知症寄りになるのだろうか。
しかしながら、わたしの尊敬する、昔から大好きな鳥越さんのことではあるが、わたしのコメントは、あえてここには書かない。

さて、認知症の定義であるが、かなりボーダーラインがあり、限りなくグレーゾーンがある。
緻密で難解で困難なことは出来ても、2分前DR REBORN老闆のことは忘れたり、
歴史の史実をひとつの狂いなく正確に覚えていても、現在、今、今日のこの時間、自分の置かれている状況が理解できなかったり。
高度な計算や化学式は、すいすい鼻歌でも、ボタンのかけ方がわからなかったり。
人によって、いろいろムラがある。
認知症のせいなのか、老化で人格に歪みが出たのか、よくわからない場合が多い。
スーパーのレジでキレる老人なども、その例かと思われる。
重い認知症ならわかりやすいが、問題は、軽度のもの。
理性を失いつつある身内に、愛をもって寄り添いすぎると、自分が壊れる危険性がある。
かつての人格のままなら、自分と深く関わりのある、愛抗皺精華する身内が自分自身を潰してまで寄り添ってほしいとは思ってないはずである。
認知症は、いくら軽くても、どこかが壊れている状況だということを知ってないと、本当に認知症の人を理解できない。

自分は認知症ではない、と、胸を張って自信満々の人がいるが、計算や講義はできても、自分のことをわかっていない。
脳に自信がある人ほど陥りやすい。
そういう人は、自分の老化を認めることができない。
体力や健康に自信がある人もである。
ため息が出るが、その人の人生は、その人のもの。
わたしの人生ではない。

< 2016年07>
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