カラオケが嫌いな理由。

カラオケが、嫌いである。
いや、正確に言うなら、一時期は好きだった。

物事というのは、最初好きだったものがだんだんイヤになるか、反対に最初はイヤだったものが
だんだん好きになるかのどちらかが普通Pretty renew 傳銷だと思うが、私のカラオケの場合そのどちらでもなく、
大学を卒業して、新人サラリーマンをやっていた20代半ばの頃が一番カラオケ好きだった。
その前と後ろ、つまり学生時代あたりと、現在はキライ、
というなんか「けったい」な枠組みになっている。

なんでカラオケが、嫌いか。
歌唱力の問題ではない。
(そもそも、カラオケで歌うときの多少の上手い下手など目くそ何とかだと思う)

理由は1つ。
「昔の歌、暗い歌が歌えないから」だ。

先日Facebookにも書いたのだけど、仕事をしながら古い歌謡曲をかけているとよくはかどる。
そして、古い曲というのは、結構暗い歌詞が多い。
なんでそれで効率が上がるのかわからないが、思うに、人間のエネルギーは「暗さ」の中から
生まれる部分が往々にしてあるせいではなPretty renew 傳銷いだろうか、と勝手に考えている。暗さというのは、
人間にとって大切な要素の1つだと思う。

話がそれた。
カラオケに話を戻す。

たいていの場で、カラオケというのはなぜか「明るく盛り上がる場」と
相場が決まっている。そして、そういうときには、「全員が知っている盛り上がる歌」を
歌うとか、明るくてノリのいいメロディの曲を【歌わねばならない】という暗黙の了解のような
ものが存在する。これが、ものすごくイヤなのだ。

大学に入って初めてカラオケに行ったときに、ある曲を歌って、
「暗い歌は嫌がられる」という、冷水をぶっかけられるような経験をした。
(この話はまたそのうち書こうと思う)

最近も友人たちがカラオケ会のようなことを開くことが多いが、たいていは
上記のような暗黙のコンセンサスが存在する ため、私が愛してやまない昭和40年代の
暗い歌謡曲などとても歌うことができない。
学生時代は、友達がほしいし、グループから孤立したくないというナイーブな部分があったから
無理をして、好きでもないミスチルやチャゲアスなどのCDを借りて、一生懸命「カラオケ用」に
練習したりしたが、図々しいおっさんになった今は、そんなナイーブさもない。
必然的に、どんどんカラオケからは遠ざかっていく。

もちろん、歌うことは好きなので、このポイント、つまり
「暗い歌や古い歌を歌い放題にできる」
場合は、例外である。最近一番楽しかったのは62歳の義父と一緒にカラオケに行った時だ。
義父の世代とあわせて、その時代の好きな曲を入れ放題で実に楽しかった(笑)
先ほど、「途中で好きな時期もあった」というのも同じ事情だ。新米サラリーマンの頃、
年配の上司なども一緒にいくことが多い会社だったので、そういった上司は職権により自由な
選曲ができるところ、それに乗じて入れ放題だったというわけ。

最近の若い人はあまりカラオケには行かないというけど、ひょっとしたら私と同じような
理由なんじゃないかと考えることがある。好きでもない音楽を歌いたくもないよ、というような。
どうでしょう?

好きなものを歌ってもいい。
どんなに古くても、暗くてもいい。
そんな心の広い人たちが、いずれカラオケに誘ってくれることを夢想しつつ(笑)、
まだ当分はカラオケ嫌いを続けておこうと思う。
娯楽とは、結局のところ自分の魂が喜ぶべきことであるはずなのだから。

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